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THE BEST THREE1989 リリース記念

​オフィシャルインタビュー

70~80年代のソウルやR&B、ジャズといったブラックミュージックの影響を受けた継いだポップなダンスナンバーを鳴らすTHREE1989(読み:スリー)が1月13日に配信限定ベストアルバム『THE BEST THREE1989 -Don't Forget Dancing-』でメジャーデビュー果たす。2014年の結成以降、メンバーチェンジをすることなく地道な活動を続けてきた彼らは、どのような想いでいまに至ったのか。「メンバーの人間性」と「グループの音楽性」を軸にした二本立インタビューで掘り下げていく。その1本目となる前編では、「他己紹介」のかたちで、3人のパーソナルやルーツを聞きつつ、インディーズ時代を振り返ってもらった。抜群の行動力でグループの道を切り拓いたShohey、冷静な判断力でバンドの頭脳となるDatch、ムードメイカーであり、多彩なプレイヤーでもあるShimo。それぞれの個性が調和し合うことで、THREE1989という音楽が生まれる。その絆の源泉を感じてほしい。

――メジャーデビューに際して、いまは率直にどんな心境ですか?

Shimo:僕らは3人それぞれが地方から出てきて、東京で知り合ったんですけど。当時から、いつかはメジャーデビューをしたいっていう目標はあって。そこから一歩ずつ目標に向かってやってきたっていう感覚だから、「やっとメジャーにいけるチャンスを手にいれた」っていうより、「次のステージにいく準備ができた」っていう感じですね。
Shohey:そうだね。たとえば、僕らが上京したての23歳とか24歳のときに、速攻でメジャーデビューしたら、すげえ希望と野望と……みたいな感じだったと思うんですけど。いま7年ぐらいやってきて、30歳を越えたので。メジャーでやれることで、また新しい景色を見に行ける。第一ステージの目標が叶って、第2ステージの目標をリアルに定められるんです。
Datch:次の目標にスッと向かってる感じはありますね。それこそ、東京歴=メンバーと一緒にいる時間なので。ここまでずっと3人でやってこられたのも嬉しいんですよ。昔のつらかった思い出も、「あのとき、こうだったよね」って話し合えるので。いまが最高じゃなくて、これからも最高を更新し続けていきたいなと思います。

――2014年に専門学校で出会って組んだグループですけど、当時から一度もメンバーチェンジすることなく活動してきたんですよね。

Datch:一度もしてないです。大体の思い出にはふたりがいるんです。
Shohey:そうだね、ずっと一緒だもんね。
Shimo:僕ら、それぞれ兄弟がいて。Shoheyが長男、Datchは男3人兄弟の次男、僕も4人兄弟の3男なので、だんご三兄弟みたいなんですよ(笑)。

――リアルな兄弟と、グループ内の役割も似てるんですか? 長男がしっかり者とか。

Shimo:似てる面もあるけど、違う面もあるかな。
Datch:けっこうそのまんまじゃない?
Shimo:でも、たまに長男(Shohey)が突拍子もないことを言ったりするよね。
Shohey:やっぱり長男は知らない道をかきわけていかないといけないですからね(笑)。

――出会ったときから、お互いの印象って変わりましたか? 今回は「他己紹介」みたいな感じで話を聞いてみたいなと思うんですけど。

Datch:そうだなあ、Shoheyは……3人が出会った専門学校時代に、僕だけクラスが違ったんですよ。で、発表会で歌ってるのを見たときにすごく熱さを感じたんです。最初は「男らしいな」っていう印象でした。でも、一緒にやりながら繊細だなって思うところもあって。
Shimo:僕は、専門学校ではShoheyと同じクラスだったんです。隣の席で。で、発表会でワンコーラスだけお披露目をするときに、ひとりだけギターの人にアレンジをやってもらってて、違うアレンジで歌ってて。そういうオリジナリティは上京したときから持ってましたね。
Shohey:たぶん「一緒だと面白くない」みたいなのはあったんでしょうね。
Datch:僕がふたりに声をかけて、バンド結成に至ったんですけど。Shoheyに関しては、フロントマンとして垢抜けた部分を感じたんです。すごく前にいくエネルギーが強いんですよ。

――たしかに、ShoheyくんはTHREE1989結成前の大学生の頃から、AIのクラブツアーで前座に抜擢されたり。積極的にチャレンジしてたそうですね。

Shohey:そうなんです。AIさんがクラブツアーで熊本に来るっていうときに、そこのオーガナイズをしてた方なのかな……が、「お前、そう言えば、歌うまいよね」みたいに言ってくれて。「歌、好きっす! 歌手になりたいっす!」みたいな話をして出させてもらったんです。オリジナル曲じゃないとダメだよってことで、すぐにパソコンを買って曲を作って。

――実際に参加してみてどうでしたか?

Shohey:ずっと「歌手になりたい」って言ってたから、友だちがたくさん見にきてくれたんですけど、ただ立ち尽くして歌っただけでした。カラオケ大会状態ですよ。200人いないぐらいの会場でしたけど、足が震えてましたから。何も覚えてないです(笑)。

――いつ頃から歌手になりたいと思ってたんですか?

Shohey:小学校5年生のときですね。ずっと歌が好きだったんですけど、たまたま音楽の先生に、ソプラノ歌手の方が赴任してきて。その先生が「私のレッスン受けない?」って言ってくれたんです。1週間ぐらいかな。「アメイジング・グレイス」を教えてもらって。それを発表会で歌ったら、保護者とか同級生が感動してくれて。「あ、俺は歌手になろう」と思いましたね。

――その夢に向かって、具体的に行動に出たのが大学生だったんですね

Shohey:そうです。小中高と野球をしてきて。野球も楽しかったですけど、やっぱり音楽をやりたくて。それを親父に話したときは反対されましたけどね。「何が歌手か、おまえは!」って。でも、「いや、俺は絶対に歌手になる!」って喧嘩して。それで覚悟したんですよ。そしたら、ちょうどAIさんのクラブツアーが決まって、道が開けてきたというか。覚悟次第で自分が見える世界が変わっていくのかなと思いました。

――その夢に向かって、具体的に行動に出たのが大学生だったんですね

Shohey:そうです。小中高と野球をしてきて。野球も楽しかったですけど、やっぱり音楽をやりたくて。それを親父に話したときは反対されましたけどね。「何が歌手か、おまえは!」って。でも、「いや、俺は絶対に歌手になる!」って喧嘩して。それで覚悟したんですよ。そしたら、ちょうどAIさんのクラブツアーが決まって、道が開けてきたというか。覚悟次第で自分が見える世界が変わっていくのかなと思いました。

――続いて、Shimoくんは、ふたりから見てどんな人ですか?

Shohey:出会ったときは、一見クールで。「海外から来た留学生なのかな?」って思ったんですよ。彫りが深いし。でも、話しかけたら、奈良出身で、苗字が下村で。「あ、ルーツは日本なんだ」。って思いました(笑)。人懐っこいし、誰とでも仲良くなれる。すごいギャップがあるなと思いましたね。
Datch:僕も気づいたら仲良くなってたんです。当時、クラスは違ったけど、住んでるところが近かったのもあって。末っ子の雰囲気は持ってるなって思いますよ。みんなに好かれるというか。
Shohey:あと、Shimoは楽器がたくさんできるのが強みですね。

――どんな楽器ができるんですか?

Shimo:いや、そんなに多くないです。メインは、ピアノ、ドラム、ギターかな。もともとエレクトーンをやってたんです。ちょっと固定概念なんですけど、それが女々しいっていうか。小学校のときに「男のくせに」みたいなことを言われたりして。男らしい楽器をしたくて、ドラムを10年間ぐらいやったんです。ギターは兄ちゃんに教えてもらいました。
Datch:僕、最初にShimoに会ったとき、ロックな人だと思ってたんですよ。

――Shimoくんは、GLAYが音楽の原体験だそうですね。

Shimo:兄ちゃんが「誘惑」とか「口唇」のCDを持ってたんです。それを初めて聴いたときにかっこいいなと思って。それまでギターでガーンっていう激しいサウンドっていうのを聴いたことがなかったんですよ。それに衝撃を受けて、ずーっと好きでしたね。

――ロック少年だったんですか?

Shimo:そうです。兄貴もヘヴィメタルが好きで、その影響で家では激しめのロックを聴いてたんです。もともとドラムをやりはじめたときはパンク系でしたね。当時はグリーン・デイが来日したり、メロコアも流行ってたので。高校に入ったタイミングで初めてバンドを組んで。いっぱい掛け持ちしてました。で、大学のときはビジュアル系のバンドを組んでて。BPM180ぐらいの、ツーバスって言うんですか。X JAPANみたいなドラムを叩いてました。

――ここまで「ダンスミュージック」という言葉はまったく出てこないですけど……。

Shimo:実はそうなんですよ。
Shohey:違うバンドの話を聞いてるみたいだよね(笑)。
Shimo:そこからビジュアル系のバンドが解散して、ボーカルとふたりで弾き語りデュオをやったんです。正反対のゆったりとした感じで音楽を作ってたんでけど。そのときに初めて曲を作るっていう意欲も湧いてきて。そのタイミングで上京して、メンバーにも出会って。
Datch:うん、出会ったとき、Shimoは「曲を作る人」っていうイメージはあった。
Shimo:だよね。「自分で作るわ」ってなってからは、いろいろな音楽を聴きましたね。コードを勉強すると、ジャズに辿り着くし、ビートを勉強すると、ブラックミュージック、R&B、ブルースに行き着くし。で、大学では民族系音楽を先攻してたんですよ。ブラジル、スペインだったら、ボサノバ、フランス、スペインだったら、フラメンコっていうのも聴いたりして、だいぶワールドワイドに広がったんです。

――ちなみに、Shimoくんは、インディーズ時代の忘れられないエピソードとして、八丈島の打ち上げで大ケガをしたことがあると聞いたんですけど。

Shohey:ああ(笑)。THREE1989を組んで2年目ぐらいのとき。生死をさまよったんですよ。
Datch:八丈島の地域のお祭りでね。打ち上げの最後で花火をやってたんですけど。海に近い場所だったんです。ライトを消したら、ほぼほぼ見えない感じで。
Shimo:少しお酒も飲んでてね。
Datch:で、僕がShimoを追いかけたんですよ。もともとShimoは陸上部だったから、わりと全力疾走で逃げて。そしたら、急にひゅって消えて。
Shohey:あれ?みたいな。
Datch:携帯のライトを照らしたら、ちょうどShimoが消えたあたりが階段になってて。その下で火曜サスペンス劇場みたいに横たわっていたんです。

――ここで笑っていいんですかね……(笑)。

Shimo:笑ってやってください(笑)。
Shoyey:「ヤバい!」ってなって、すぐに救急車を呼んでね。
Shimo:頭を6針ぐらい縫いました。

――じゃあ、しばらく活動も休止になったんですか?

Datch:いや……2日間ぐらい(笑)
Shimo:たしか2日後にライブがあったよね。大阪で。
Datch:そう。僕がShimoと一緒に救急車に乗ったんですけど、怪我をしても、ライブのことが気になったのか、「今日何日?」って何回も聞いてくるんですよ。で、ずーっと「誰か、誰か…」って言うから、僕も僕で気が動転してたので、Shimoの手を握って、「俺いるよ!」みたいな感じで。
全員:あはははは!
Datch:もうドラマみたいな。
Shohey:そうだね(笑)。
Shimo:その後、ライブをやらなかった記憶がないから、やったんでしょうね。
Datch:あんまり覚えてないね(笑)。

――それ、助かったから笑い話ですけど。

Shimo:ね、まだまだ生きないといけないってことだったんでしょうね。

――では、最後にDatchくんについて聞ければと思います。メンバーを集めた中心人物です。

Shohey:Datchはクラスの発表会でも、僕が全然知らない機材を使って、聴いたことのない音楽をやってたのが印象的でしたね。
Shimo:かっこいいダンスミュージックを作ってたんですよ。「あれ、どうやってるの?」っていうような技術を使ってて。僕にはないものを持ってるなと思いました。
Shohey:言うなら、「星が違う人だな」っていう感じですよ。いい意味でね。未知との遭遇みたいな。発表会で、光る服を着て、その音に反応して光らせたりしてたんですよ。

――え、光る服?

Shohey:そこ気になりますよね(笑)。
Datch:ステージに立つのであれば、その楽曲に合うように自分も表現しないといけないと思ったんです。有機ELワイヤーっていう細い糸……ボタンを押したら光るみたいなのを買って、2週間かけて、ずーっと縫って。それで裁縫が少し得意になったっすね(笑)。
Shohey:最初Datchさ、けっこうR&B寄りだったじゃん、Ne-Yo的な。
Datch:そうそう。ブラックミュージックが好きだったんですよ。
Shohey:で、途中から急に「光る服Datch」になったよね。
Shimo:そうだったね。
Shohey:その転機には何があったの?
Datch:東京にきて、音楽と向き合ったときに、僕、あんまり好きな歌手がいなかったんですよ。で、自分が好きな音楽を突き詰めたときに、「曲を作る人」が好きだなと思ったんですね。R・ケリーとか。自身でも歌ってますけど、プロデュースをしてる人たちがバカ売れしたりしてたじゃないですか。で、そのあとにアヴィーチーの「Tomorrowland」の映像を見たんです。まだファーストアルバムが出る前で認知される前なんですけど、それが「だいぶ最先端だぞ」と思って。当時の日本にはない音楽で。あ、これをやりたいと思ったんです。ダフトパンクの「One More Time」も衝撃的でしたね。

――もともとDJになりたいという気持ちはあったんですか?

Datch:いや、それこそDJの役割になったのはふたりと組んでからですからね。アヴィーチーとかが出てきて以降、DJがいわゆるクラブにいるDJとしてだけじゃなくて、作る人もDJみたいな認識で出てくるようになったと思うんですよ。アフロジャックとかディスクロージャーとか。

――ええ。

Datch:そういう人たちの存在が大きいと思います。それまでは、自分でもどういう音楽を目指したらいいのわからなかったんです。ずっとクラブミュージックが好きだったので、高校生ぐらいから機材を買って、独学で勉強したりはしてたんですけど。

――曲はパソコンで作るタイプですよね?

Datch:完璧に。DTMがなかったら、たぶん曲を作れてなかったです。

――そうなると、自分ひとりで音楽を完結することもできたと思うんですけど、グループとして、メンバーを集めようと思ったのは、どうしてだったんですか?

Shohey:たしかにね。
Datch:グループに憧れてたのかもしれないですね。Shimoは、「僕にないものを持ってる」って言ってくれましたけど、僕もふたりに自分にないものを持ってると思ったから声をかけたので。単純に3人でやったら、どういう音楽になるんだろう?っていう好奇心もあったし。
Shohey:でも、最初に誘われたときは、「ひと夏の恋」的な感じかなと思ったんですよ。フェスのオーディションを受けるためのユニットみたいな。でも、オーディションに落ちて、そこから3~4ヵ月一緒にやっていくなかで、たくさん思い出ができたんですよね。

――正直、Datchくんがふたりを誘ったときは、「ひと夏の恋」の予定だったんですか?

Datch:いや、僕のなかでは口実にすぎなかったですね。

――最初から長くバンドをやるつもりで誘ったんですね。

Datch:でも、真っすぐに「俺と一緒にバンドをやらないか?」みたいなのを言えないタイプなので(笑)。「こういうフェスがあるんだけど、出てみない?」みたいな感じで。
Shohey:いま振り返ると、そういう始まり方だったけど、ここまで長くやってこられたのは、根底が友だちだからっていうのが大きいと思うんですよ。

――ああ、なるほど。

Shohey:僕、それまでもいろいろ人とコラボしたり、違うバンドを組んでたりしたんだけど、それは音楽先行だったり、「この人が上手いからやる」っていう理由だったんです。それもプロとしては大事だし、情よりも優先しなきゃいけないこともあるけど、このふたりに関しては、そっち(情)が優先だったんですよね。最初の頃はいまよりも、お互いの曲とかプレイに対して、「もっとこうしたらよくない?」とか言い合ってたから、それが仕事だったら解散してたと思うんです。けど、1個ずつ全員で課題をクリアしていって。ここまでやってこられたのは奇跡だなと思いますよね。
Datch:そうだね。
Shohey:絶対に彼らと同じ夢を共有していきたいというか。この3人で最高の景色を見たいんですよ。だから、ここまで絶対にあきらめなかったんです。

――それぞれがひとりでも音楽を作れるポテンシャルがあるけど、THREE1989として、3人で活動する意味はそういうところなんでしょうね。

Shohey:そうですね。僕らは全員音楽を作れるから、たとえば、Datchが曲を作って、俺がそれにメロディにのっけて、Shimoがトラックに落とし込むこともできますし、Shimoが曲を作って、Datchがメロディをのっけることもできる。3人が3人とも点火剤になれるんですよ。三者三様だし、三位一体だしっていう、いいトライアングルなんですよね。

――では、最後に自分たちのインディーズ時代を総括して、どう振り返りますか?

Shohey:あっと言う間でしたね。とりあえず、がむしゃらに走り続けたっていう印象はあります。

――自分たちでは「時間がかかった」と思います?

Datch:かかったっすねえ。
Shohey:本当にゼロからはじめたから、他のアーティストが見えてない部分も見てきたし、たくさんのことに時間をかけてきた感はありますね。たとえば、ちょっと大きめのショッピングモールでライブをやりたいって考えたときに、僕たちは自分たちで電話をかけてましたから。たぶんそういうのって、20歳でデビューするようなミュージシャンは絶対にやらないと思うんです。でも、それがいかに大変かを知ってることが大事だなって。
Shimo:いろいろな人の気持ちがわかるよね。
Shohey:そうだね。一人ひとりのプロフェッショナルのおかげっていう。
Shimo:だから、僕たちは一つひとつ舞台をくれることに対して、ちゃんとした想いで取り組みたいっていうのは強いかもしれないですね。

――時間はかかったけど、この道のりで良かった?

Shohey:めちゃくちゃ良かった。最初にShimoが言ったんですけど、やっぱり第一章をクリアした状態じゃないと、次のステージって用意されないんですよね、人生には。それが想像してたよりも長かっただけ。本当は18歳でここだったんですけど(笑)。世間一般から見ると、30歳でデビューって遅いかもしれないですけど、僕らからすると、いまが18歳っていう気持ちですね。

次回へ続く

ライター:秦理絵

Release Info

「THE BEST THREE1989 -Don't Forget Dancing- 」
配信日:2021年1月13日(水)
媒体:Spotify, Apple Music, AWA他、各種ストア
形態:ストリーミングおよびダウンロード
ダウンロード価格:1,800円

https://three.lnk.to/thebest_THREE1989

トラックリスト:
1.High Times(RZ ver.)
2.UNIVERSE(RZ ver.)
3.Don’t miss it(RZ ver.)
4.涙のダンスフロア(RZ ver.)
5.Mr.Sunshine(RZ ver.)
6.UMBRELLA(RZ ver.)
7.mint vacation(RZ ver.)
8.Rambling Rose(RZ ver.)
9.サクラビト feat.おかもとえみ(RZ ver.)
10.Utopia(RZ ver.)
11.HARU(仮)

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