1月13日に配信限定ベストアルバム『THE BEST THREE1989 -Don’t Forget Dancing-』でメジャーデビュー果たしたTHREE1989の魅力を掘り下げる二本立てインタビュー。前編では「メンバーの人間性」をテーマに、Shohey(Vo)、Datch(DJ) 、Shimo(Key)の3人に他己紹介のかたちでお互いの出会いを振り返ってもらいつつ、現在までに築き上げた絆について語ってもらったが、後編となる今回は、「グループの音楽性」をテーマに話を聞いた。70~80年代のR&Bやソウルミュージックをルーツに持ち、ポップな感性とマニアックな嗜好を融合させた心地よいダンスナンバーを鳴らす彼らは、これまでどんな想いで音楽と向き合ってきたのか。そして、これからどこへ向かおうとしているのか。グループの代表曲を詰め込んだベスト盤の収録曲を手がかりに掘り下げる
――そもそもメジャーデビューアルバムをベスト盤にしようと思ったのは、どうしてですか?
Shohey:そこはずっと考えてたんですけど、マスタリングを終えたときにやっとわかったんです。そのデータを聴いたときに、「やっとやりたいことが完成した」って思えたんですよ。最初に出した時点の音源は未完成だったというか。「いまやりたいことを、いま僕らができる実力の範囲でやります、全力です」みたいな感じだった。それもいいトゲだったけど。それからライブで何回も演奏してきて、いまの自分たちでリレコーディングしたものを聞き比べときに、やっと(仮)から、(完)になったんです。「涙のダンスフロア」の完成版はこれだ、とか。1曲1曲にそれを感じられたんです。
Shimo:やっと自分たちのものになったな感はあるよね。
Shohey:ちゃんと自分たちが納得できるものを目指した。それがベスト盤のひとつ目の意味です。
――他の意味合いとしては?
Shohey:インディーズで広げきれなかったところにも届けていきたいっていうところですね。スリーの音楽をもっと世の中の人たちに聴いてもらいたいし、世界にも広げていきたいし。
Datch:そのために「よろしくお願いします、スリーです」って感じですね。
――収録曲がリリース順になっているのも、こだわりですか?
Shimo:僕らの1枚目のアルバムが『TIME LINE』ですから。
――タ イムライン=時系列順に知ってもらおうと(笑)。
Shimo:そういう感じです。
Shohey:おー、うまいこと言った(笑)。
――アルバム前半は、その『TIME LINE』からの楽曲ですね。
Shimo:1作目の曲はいまでもライブでやる曲が多いんですよね。
Shohey:『TIME LINE』は、ちょうどバンドを組んで3~4年のときに作ったんですけど。あのときは、もがいてましたね。スリーはこうだっていう名刺みたいな曲を作りたいと思ってて。
――その時期は80年代のブラック・コンテンポラリーとかAORを感じる曲が多いですね。
Shohey:その当時の音楽が自分のなかでいちばん心が揺れるんですよ。いろいろな音楽を聴いてきたけど、やっぱり80年代だなって。それをJ-POPに落とし込みたかったんです。それまでの時代は、J-POPって、「ちゃんと歌詞まで聞いて浸る」みたいな感じだったと思うんです。でも、僕 らはもっと生活のなかに溶け込めるダンスミュージックを作りたかったんです。
Datch:当時は苦しんで生み出したっていうのはありますね。それぞれ3人が聴いてきたルーツが全然違ったので、その良さをどう凝縮するか、みたいなことでも迷ってて。
――その迷いを吹っ切れたきっかけは何だったんですか?
Shohey:ライブをアップデートしていくうちに、自分たちがやりたい音楽っていうものが、膜が1枚1枚はがれていくように見えてきたのが大きかったと思います。
――『TIME LINE』のなかでも、「High Times」は、のちにバンドの名前を広く知られるきっかけになった曲ですけど。作ったときから手応えを感じていたんですか?
Shohey:いや、もともとは前身バンドのデモ曲だったんですよ。メロディがサビっぽくなくて。けど、僕はこれが好きだなと思ったんですね。で、みんなに聞かせたら、「いいじゃん!」って言ってくれて。そこからアレンジをつけて完成させたけど、最初は全然信じられてなかったんです。ただ、3人で話し合って、これからは自分たちの好きなことをやっていくって決めてたから、「信じて出してみよう」ってなって。出してみたら、意外とこういう曲も聴いてくれるんだってわかったんです。そこから自分たちの音楽に自信を持ってるようになって、「UNIVERSE」とかにも挑戦できたんです。
――「UNIVERSE」も、いまではライブの定番曲ですよね。
Shimo:絶対に欠かせない曲になりましたね。
Shohey:これのほうが、さらに出すのが怖かったよね。
Datch:当時、こういう音楽をやってる人は、世界中を見てもいなかったんですよ。
Shohey:「ニュージャックなんて、お前ら、古すぎるんだよ」って言われたりとか。
Datch:でも、「絶対いいよ、これ」っていうアンテナみたいなものは3人共通であったと思うんです。
Shohey:自分たちは信じてるけど、世間的には知らないだろうなっていう曲を出したときこそ、いい結果が出る。だったら、やりたいことをやったほうがいいよねって思いましたね。
――グループとしていい流れを掴んできたなかで、同じことを焼き直しするんじゃなくて、次に「涙のダンスフロア」っていうスローバラードにチャレンジしたのも、スリーらしいなと思いました
Shohey:純粋にスローテンポのソウルミュージックが好きなので。J-POPで言うなら、CHEMISTRYとか、久保田(利伸)さんとか。「涙のダンスフロア」を作ったときは、そういう曲も入れたいっていう話をしたのは覚えてますね。
Datch:僕たち世代って、チークタイムを知らないんですよ。でも、そういったところも、スリーのひとつの軸になってるんです。バラードだけど、その前に「ダンス」をつけたいというか。
Shohey:あと、「涙のダンスフロア」は、今回のリレコーディングで、音もアップデートしたので聞き比べてほしいですね。全然違うので。
Datch: 当時、Shoheyくんが持ってきた曲のアレンジを考えるときに、デジタルピアノを入れようとしたら、古いって言われたんですよ。でも、僕たち世代には聞き慣れてない音だったし、曲の世界観にも合うから、これでいきたいって貫き通して。Shimoがシンセを弾いたときに、「よし来た!」ってなって、一気にレコーディングしました。そういう意味では、制作過程の試行錯誤も含めて3人の想いが詰まった曲ですね、「涙のダンスフロア」は。
――初期曲のなかで、ちょっと毛色が違うのが「Mr.Sunshine」かなと思ってて。
Shohey:これはリリース順で言うと、「High Times」のほうが先なんですけど、前身バンドから改名して、スリーになるよっていうときに、一発目に書いたんですよ。
Shimo:しいて言えば、ナンバーゼロ。
――そうだったんですか。これ、歌詞の葛藤が生々しいですよね。
Shohey:そのとき、すごいキツかったんです……。
――だからですか ね、泣いてるんだけど、一生懸命笑おうとしてる感じがするんです。
Shohey:そうそう。自分のなかの「Mr.Sunshine」に話しかけて、「お前はそんなもんじゃないだろ」って言いたかったんですよね。当時、恋愛面で落ち込んだり、友だちがバラバラになったり。あと、地元の熊本で地震があったり。キツいことが一気にきたんですよ。そのときに、森高千里さんの「ララ サンシャイン」を聴いて、涙が止まらなくなったんです。で、がんばろうって思えて。そういう太陽みたいな曲を書きたかったんですけど。いま聴くと、けっこう似ちゃってるんですよね(笑)。
――2018年に発表された2ndアルバム『JET BLUE』からの曲としては、これも代表曲になった「UMBRELLA」が収録されます。
Datch:自分たちのなかで、『TIME LINE』以降、アルバム曲みたいなタイプの楽曲が多くなった気がしてたんですよ。で、もっとリード曲っぽいというか、「アルバムの顔です」みたいなのがほしいねっていうときに、Shoheyくんが書いてくれたのが「UMBRELLA」でしたね。
Shohey:そうだった。何曲か書いたうちの1曲ですね。
Datch:『TIME LINE』の次の作品として、『JET BLUE』はエレクトロな曲が多くなっていくんですけど、そのへんもコンセプトにしてたんです。
Shimo:サビのメロディをキャッチーにしたり、女性コーラスを入れるようになったりね。「UNIVERSE」にも参加してくださってたんですけど、僕らのライブのサポートにも入ってくれるゆきこさんに参加してもらったことで、いっそう艶と華が出たし、迫力が増した曲ですね。
――続いて、2019年の作品『Kiss』からは「mint vacation」と「Rambling Rose」ですけど。ここからは初期の70~80年代というテーマ以上にサウンドにも広がっていきます。
Shohey:ライブが増えてきたなかで、もっとテンション高めにいかなきゃとか、夏フェスにはこういう曲だよね、みたいなことを意識するようになって、「mint vacation」ができてきたんです。最初の頃にテーマにしてたブラコンだったり、70~80年代から時代が進んで。ダンスビートを取り入れたのも初の試みに近いんじゃないかな。かなりファンキーな感じになりました。
Datch:この頃から、トラック先行になってきたよね。
――より同時代的な最先端のアプローチを取り入れるっていうことも意識してたんですか?
Datch:言われてみると、そうですね。当時、Spotifyが一気に普及したから、僕たちも、世界の音楽に一気に近づいていったんですよ。いま世界的なミュージシャンは、こういうことをやってるんだっていうのをどんどん取り入れるようになって。
Shohey:あと、『JET BLUE』ぐらいまでは、3人+コーラスでライブをやってたけど、『Kiss』からは生のドラムが入ってくるんです。そういう意味でも、ライブ映えっていうところを意識した曲が増えてきて。初期の『TIME LINE』はライブハウスが似合う音だったけど、『Kiss』以降はもうちょっと広いライブ会場をイメージした曲が多いですね
――この頃になると、海外でのライブも増えてきますよね。
Datch :日本でライブをやっても、海外の方が見にきてくれるようになりましたね。
Shohey:「Rambling Rose」を歌ってたら、目の前でチューしだすんですよ(笑)。
――音楽で気分が高まると、外国の方って大胆になりますよね(笑)。
Shohey:それがすげえうれしかったんです。僕らがいちばん求めてたライブ像というか。僕らはいい音楽を届けるから、君たちはいい感じで勝手に楽しんでくれっていうのが、ライブの理想なんです。ステージをじっと見てくれるのもうれしいけど、自分の世界を作って楽しんでもらうっていうのが最終的に目指したいところで。それが体現できたのはうれしかったです。
――しかも、スリーの楽曲は全編英詞でもないのに、国境を越えて届いたっていう。
Shohey:そう。台湾とかは、もともと日本の音楽を聴く文化があるから、日本語で歌ってくれるんですけど、スペインとかヨーロッパ圏でも、その現象が起きたのがうれしかったですね。日本語でもいける、みたいな。それで、より世界に向けて日本的な音を取り入れた、次の「サクラビト」につながっていくんです。
――和のテイストをふんだんに取り入れた曲ですね。
Datch:最初はベースがかっこいい曲を作ろうぜ、みたいなところからはじまった曲なんですけどね。
Shimo:Datchがビートを組んで、そこにマリンバだったり、ラテンっぽいイメージを加えて。
――コーラスに迎えたフレンズのえみそん(おかもとえみ)とのハーモニーもいいですね。